


史跡
知仁御嶽(ちーみうたき)<ガラサー山>
島全体が御嶽の聖なる島
【町指定史跡】
兼城港の向かいの小島で、以前は日暮れになるとカラスの群れのネグラになったことから、ガラサー山と呼ばれています。島全体が御嶽で、線香、花米、神酒を供えて諸作物の豊作祈願が行われていました。また、この知仁御嶽は、尚温王時代(1795~1802)に起きた「官生騒動」の首謀者松永親雲上(金文和)が流刑中に書いたといわれる「三鳥問答」の舞台にもなっています。
なお、地形図には「精川島」と記載されているが、本来の名称は「知仁」です。
施設情報
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![]() | 知仁御嶽(ちーみうたき)<ガラサー山> |
![]() | 〒901-3123 沖縄県島尻郡久米島町字大田 |